ストレス解消法を教えてもらいました

 先日、人間ドックを受診した病院に、

「ストレス解消法七カ条」

というプリントがありました。おもしろかったので紹介します。


1 自分を誉める

 朝起きたら鏡に向かって

 「お前はえらい」と誉める。


2 肩の力を抜く

 頑張り過ぎない。みんなで荷物をもつときも、「せいの!」と

 声は出すが力は入れないくらいの気持ちで。


3 目標は短期と長期に分ける

 1日でできるやさしい目標を立て、達成したら寝る前

 「よくやったね」と労をねぎらう。


4 歴史小説を読む

 いろんな人の生き方に感動できれば、

 自分の人生も味が出てくる。


5 話し上手

 相手を笑わせたり、泣かせたり、楽しくさせれば

 酒の酔いより勝る。スピーチは必ず原稿に書く。

 頼まれなくても準備しておく。


6 毎日散歩

 血圧も下がり、体重も減り、良いアイデアも浮かぶ。


7 ときめきが大切

 おしゃれなセンスを磨くこと。

 異性の視線は生きるパワーにつながる。


 笑えますね、2番とか。

毎日リフレッシュして、真の生きるパワーである

「人生の目的」に向かいましょう。

ゴールなき人生なら、走る力も湧いてこない

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 これらの苦難を乗り越えて、なぜ生きねばならぬのか。もっとも

大事な「生きる目的」が示されぬまま、ただ苦しみに負けず

「生きよ」「がんばれ」「死ぬな」の連呼は、ゴールなき

円形トラックをまわりつづけるランナーに、鞭打つようなもの

でしょう。  

高森顕徹先生監修『なぜ生きる』より)

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 今日のテレビ座談会は、上記の一節から、人生がなぜ、

「ゴールなき円形トラック」になるのか、教えていただきました。


 そうとは思えないのは、健康やお金、財産、地位や名誉などを

得ることがゴールのように考えているからです。しかし、

それらを得たとて、本当の幸せになっているでしょうか。

「健康」ほど、あてにならないものはありません。元気だった人が、

パタッと倒れることはよくあります。

「お金」や「財産」は、どれだけ手にしたならば、これで満足と

いえるのでしょうか。

「地位」や「名誉」を得たはずの、首相や幹事長が、幸せに

見えますか。

 かの秀吉も、辞世に残しています。

「露とおち 露と消えにし わが身かな

          難波のことも 夢のまた夢」

 臨終に気づいても手遅れです。


 親鸞聖人は、この人生の実相を、

「生死輪転の家に還来することは

 決するに、疑情をもって所止となす」  (『正信偈』)

と仰っています。

 人生苦は、車輪の回るがごとく、際限なくやってきます。

そんな人生だと気づかないのは、「疑情」=「無明の闇」

=「後生暗い心」のためです。


 ゴールのないマラソンなら、走る力も湧いてきません。

 親鸞聖人の教えにこそ、本当のゴールがあるのです。

『なぜ生きる』を、よく読んでください。

五輪の歓喜も比ぶべくもない多生の目的

 上村愛子さん、メダルに届かず、残念でした。

 バンクーバー冬季オリンピックの女子モーグルで、上村選手は、

4位に終わったそうです。


YAHOO!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100214-00000538-sanspo-spo


「今度こそ」という願いを込めて、様々なテレビ番組でエールが

送られていたので、心情的にはメダルを取ってほしかったけれども、

この世は思うようにはいきません。上村選手の陰で、五輪にも

出られない選手がきっといるんでしょうし……。

 本当の幸せに気づいて欲しいと願って、

高森顕徹先生監修『なぜ生きる』の一節を。

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 真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心をきわむるがゆえに、

龍華三会の暁、まさに無上覚位をきわむべし。念仏の衆生は、

横超の金剛心をきわむるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を

超証す(『教行信証』)

「本当にそうだったなぁ! あの弥勒菩薩と、今、同格に

なれたのだ。まったく弥陀の誓願不思議によってのほかはない。

しかもだ。弥勒は五十六億七千万年後でなければ、仏のさとりが

得られぬというのに、親鸞は、今生終わると同時に浄土へ往って、

仏のさとりが得られるのだ。こんな不思議な幸せが、どこに

あろうか」

 弥勒大士とは、仏のさとりにもっとも近い、等覚というさとりを

得ている菩薩のことである。その弥勒と同等になるのだから、

〝よくぞ人間に生まれたものぞ〟という生命の歓喜は、生涯、

変わらない。

「真に知んぬ」とは、「あまりにも明らかに知らされた」驚嘆の

叫びであろう。

「今は弥勒と肩を並べる身であるが、死ねば、先に仏のさとりが

得られるのだ」

 この世と後世の、二度の弥陀の救いに疑い晴れた、聖人の

慶喜である。

 のど自慢で鐘が三つ鳴ったときの、あのよろこびようはどうか。

四年に一度とはいえ、オリンピック・メダリストの感激ぶりは

どうだろう。たかがのど自慢、オリンピックといえば驚くかも

しれないが、多生永劫の目的達成とはくらぶべくもなかろう。

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分かりやすい文章で伝えたい親鸞聖人の教え

「やばい」「微妙に」といった話し言葉、気を張る文書に

書いちゃあいけませんよね。


YAHOO!ニュースより
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/education/?1265605954


 でも、答案やリポートにそれらを書く学生が多いので、山形大学では、

文章のイロハから学ぶ「スタートアップセミナー」を、新入生の

必修科目とするそうです。専用テキストを作った教授は、

「文章能力の衰えを感じる。必修にしないと、基礎的なことができない

学生が受講しない」

と話しているといいます。作文の時間じゃあるまいし、ちょっと

情けない感じがします。ニュース番組などを聞いていれば、

分かりそうな気もしますが……。


 そもそも、「ビミョー」という話し言葉を「微妙に」と書くと、

ニュアンスが変わってしまいますよね。

 テキストの内容は、「話し言葉を書かない」のほかにも、

「主語と述語、修飾語と被修飾語は近づける」

など、初歩的な作文方法とか。あ、でもこれは、文章を毎日書く

任務の私たちでも、気をつけないとやってしまう。


 親鸞聖人の教えを伝えるには、「正確に」が、まず大事。

それを、一読してスッと意味の通る分かりやすい文章で伝えたい

ものですね。

「往生」を誤用して、聖人の教えは分からない

 豪雪だった新潟市内で、吹雪のため国道116号線が通行止めに

なり、周辺の広域農道へ迂回した車100台以上が、雪にはまって

動かなくなりました。夕方6時までに、何とか全車、脱出できた

みたいですね。


YAHOO!ニュースより
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100207-00000013-maip-soci


 それにしても、運転していた車が地吹雪で動かなくなる恐怖は、

どんなものでしょう。81人が近くの避難所や民家に慌てて

逃げたようです。無事でよかった。


 ところで、喜べないのは言葉の誤用。上記のニュースに、

「車100台が立ち往生した」と連発してあります。これは、

「往生」を、「困る」という意味で使っているのです。

「弁慶の立ち往生」と言えば、「死ぬ」という意味になります。

「往」にも「生」にも、そんな意味はないでしょ!


 これは仏教の言葉ですから、仏教で使われているとおりに

正しく使いたいものです。

「往生」には、2つの意味があります。

 この世で弥陀の本願に救い摂られ、絶対の幸福になった人は、

一息一息が明るく楽しい人生を満喫できますから、

「絶対の幸福に生かされて往く」という意味の「往生」が一つ。

 二つ目には、その身になった人が、一息切れれば、

「弥陀の極楽浄土へ往って、弥陀同体の仏に生まれる」という

「往生」です。


 親鸞聖人の教えを知る上で大変重要な「往生」を、

誤用してはなりません。

100年そこそこの命の問題ではない仏教

 私たちの生命は、悠久の過去から永遠の未来へ流れています。

だから親鸞聖人は、「多生」「億劫」「微塵劫」「昿劫」という、

いずれも気の遠くなるような長年月を表す言葉で、永遠の生命を

説いておられます。

 今日のテレビ座談会で、高森顕徹先生から教えていただきました。


 その流れの中で、生まれて死ぬなんてのは、点にもなりません。

温泉宿に到着して、一時のんびりしても、あくる朝、宿を発たねば

ならないようなものです。



 その時に、どんな情趣ある調度品があってでも、持っていけるで

しょうか。

「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、

わが身には一つも相添うことあるべからず。されば

死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」

                      (御文章)

 蓮如上人も、死んでいく時は丸裸だと仰っています。


 しかも、温泉なら楽しめるでしょうが、人生苦なりでは

ありませんか。

「従苦入苦 従冥入冥」(大無量寿経

 私たちは、苦しむためにこの世に生まれ、後生も暗い世界へ

堕ちていくしかないのでしょうか。


 そうではない、未来永劫にわたって幸せになれる人生の目的が

あるのだと親鸞聖人は仰っています。この一瞬の人生で、

阿弥陀仏の本願に救い摂られれば、光明輝く永遠の未来が

待っている。多生永劫の目的を説かれているのが仏法です。

 この世、80年か100年の話とは次元が違います。

人間ドックも、生きる目的あればこそ大事

 人間ドックを受診してきました。

鼻からの胃カメラも、3回目かな。


 私の場合、毎年のように血液検査でひっかかるのが、

中性脂肪の多いこと。特に上半身の筋力増大を目指し、

運動を心掛け、何とか減らします。

 遅い時間に、お仏壇からお下げしたお供物を食べたく

なるのも、ガマン、ガマン。(でも、夜に原稿書いて

遅く帰れば、おなかすいてるのよ、これが)


 仏法が大事だから、体が大事。健康は、聞法のためです。

よくない数値は、精密検査で確かめねばならないなあ、と

反省しています。


「病気が見つかるかもしれないから恐い」という理由で、

検査を敬遠する人もありますが、知らない間に病が進行して

いたら、それこそ恐いですね。