五輪の歓喜も比ぶべくもない多生の目的
上村愛子さん、メダルに届かず、残念でした。
4位に終わったそうです。
YAHOO!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100214-00000538-sanspo-spo
「今度こそ」という願いを込めて、様々なテレビ番組でエールが
送られていたので、心情的にはメダルを取ってほしかったけれども、
この世は思うようにはいきません。上村選手の陰で、五輪にも
出られない選手がきっといるんでしょうし……。
本当の幸せに気づいて欲しいと願って、
高森顕徹先生監修『なぜ生きる』の一節を。
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真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心をきわむるがゆえに、
龍華三会の暁、まさに無上覚位をきわむべし。念仏の衆生は、
横超の金剛心をきわむるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を
超証す(『教行信証』)
「本当にそうだったなぁ! あの弥勒菩薩と、今、同格に
なれたのだ。まったく弥陀の誓願不思議によってのほかはない。
しかもだ。弥勒は五十六億七千万年後でなければ、仏のさとりが
得られぬというのに、親鸞は、今生終わると同時に浄土へ往って、
仏のさとりが得られるのだ。こんな不思議な幸せが、どこに
あろうか」
弥勒大士とは、仏のさとりにもっとも近い、等覚というさとりを
得ている菩薩のことである。その弥勒と同等になるのだから、
〝よくぞ人間に生まれたものぞ〟という生命の歓喜は、生涯、
変わらない。
「真に知んぬ」とは、「あまりにも明らかに知らされた」驚嘆の
叫びであろう。
「今は弥勒と肩を並べる身であるが、死ねば、先に仏のさとりが
得られるのだ」
この世と後世の、二度の弥陀の救いに疑い晴れた、聖人の
大慶喜である。
のど自慢で鐘が三つ鳴ったときの、あのよろこびようはどうか。
四年に一度とはいえ、オリンピック・メダリストの感激ぶりは
どうだろう。たかがのど自慢、オリンピックといえば驚くかも
しれないが、多生永劫の目的達成とはくらぶべくもなかろう。