ゴールなき人生なら、走る力も湧いてこない
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これらの苦難を乗り越えて、なぜ生きねばならぬのか。もっとも
大事な「生きる目的」が示されぬまま、ただ苦しみに負けず
「生きよ」「がんばれ」「死ぬな」の連呼は、ゴールなき
円形トラックをまわりつづけるランナーに、鞭打つようなもの
でしょう。
(高森顕徹先生監修『なぜ生きる』より)
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今日のテレビ座談会は、上記の一節から、人生がなぜ、
「ゴールなき円形トラック」になるのか、教えていただきました。
そうとは思えないのは、健康やお金、財産、地位や名誉などを
得ることがゴールのように考えているからです。しかし、
それらを得たとて、本当の幸せになっているでしょうか。
「健康」ほど、あてにならないものはありません。元気だった人が、
パタッと倒れることはよくあります。
「お金」や「財産」は、どれだけ手にしたならば、これで満足と
いえるのでしょうか。
「地位」や「名誉」を得たはずの、首相や幹事長が、幸せに
見えますか。
かの秀吉も、辞世に残しています。
「露とおち 露と消えにし わが身かな
難波のことも 夢のまた夢」
臨終に気づいても手遅れです。
親鸞聖人は、この人生の実相を、
「生死輪転の家に還来することは
決するに、疑情をもって所止となす」 (『正信偈』)
と仰っています。
人生苦は、車輪の回るがごとく、際限なくやってきます。
そんな人生だと気づかないのは、「疑情」=「無明の闇」
=「後生暗い心」のためです。
ゴールのないマラソンなら、走る力も湧いてきません。
親鸞聖人の教えにこそ、本当のゴールがあるのです。
『なぜ生きる』を、よく読んでください。