ゴールなき人生なら、走る力も湧いてこない

***************************************************************

 これらの苦難を乗り越えて、なぜ生きねばならぬのか。もっとも

大事な「生きる目的」が示されぬまま、ただ苦しみに負けず

「生きよ」「がんばれ」「死ぬな」の連呼は、ゴールなき

円形トラックをまわりつづけるランナーに、鞭打つようなもの

でしょう。  

高森顕徹先生監修『なぜ生きる』より)

***************************************************************


 今日のテレビ座談会は、上記の一節から、人生がなぜ、

「ゴールなき円形トラック」になるのか、教えていただきました。


 そうとは思えないのは、健康やお金、財産、地位や名誉などを

得ることがゴールのように考えているからです。しかし、

それらを得たとて、本当の幸せになっているでしょうか。

「健康」ほど、あてにならないものはありません。元気だった人が、

パタッと倒れることはよくあります。

「お金」や「財産」は、どれだけ手にしたならば、これで満足と

いえるのでしょうか。

「地位」や「名誉」を得たはずの、首相や幹事長が、幸せに

見えますか。

 かの秀吉も、辞世に残しています。

「露とおち 露と消えにし わが身かな

          難波のことも 夢のまた夢」

 臨終に気づいても手遅れです。


 親鸞聖人は、この人生の実相を、

「生死輪転の家に還来することは

 決するに、疑情をもって所止となす」  (『正信偈』)

と仰っています。

 人生苦は、車輪の回るがごとく、際限なくやってきます。

そんな人生だと気づかないのは、「疑情」=「無明の闇」

=「後生暗い心」のためです。


 ゴールのないマラソンなら、走る力も湧いてきません。

 親鸞聖人の教えにこそ、本当のゴールがあるのです。

『なぜ生きる』を、よく読んでください。