「往生」を誤用して、聖人の教えは分からない

 豪雪だった新潟市内で、吹雪のため国道116号線が通行止めに

なり、周辺の広域農道へ迂回した車100台以上が、雪にはまって

動かなくなりました。夕方6時までに、何とか全車、脱出できた

みたいですね。


YAHOO!ニュースより
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100207-00000013-maip-soci


 それにしても、運転していた車が地吹雪で動かなくなる恐怖は、

どんなものでしょう。81人が近くの避難所や民家に慌てて

逃げたようです。無事でよかった。


 ところで、喜べないのは言葉の誤用。上記のニュースに、

「車100台が立ち往生した」と連発してあります。これは、

「往生」を、「困る」という意味で使っているのです。

「弁慶の立ち往生」と言えば、「死ぬ」という意味になります。

「往」にも「生」にも、そんな意味はないでしょ!


 これは仏教の言葉ですから、仏教で使われているとおりに

正しく使いたいものです。

「往生」には、2つの意味があります。

 この世で弥陀の本願に救い摂られ、絶対の幸福になった人は、

一息一息が明るく楽しい人生を満喫できますから、

「絶対の幸福に生かされて往く」という意味の「往生」が一つ。

 二つ目には、その身になった人が、一息切れれば、

「弥陀の極楽浄土へ往って、弥陀同体の仏に生まれる」という

「往生」です。


 親鸞聖人の教えを知る上で大変重要な「往生」を、

誤用してはなりません。