寺の世話をしてきた80歳男性「本願が分からん」
昨日から今日にかけて、よう降りました、12月の雪。
富山県内でもこのとおり。
(射水市の職場より)
下の写真は、今日お訪ねした、富山市内の80歳男性宅の
お庭です。狭い空間なのですが、情趣がありますね。
仏法を大事にしてこられました。また、疑問に思った
ことはとことん聞く、という向学心のある方です。
その方が、これまで法話を聞いてきて、いつも最後に
「どうしても分からん」と思われたのが、「弥陀の本願」でした。
本願が分からないから、お聖教を拝読しても結局分からない。
幾度、末寺の住職や別院の輪番、本山の役僧にも尋ねたこと
でしょう。ところが、だれもハッキリ答えず、
「末寺の方に聞いたらいいのではないですか」
「本山の人のほうが、よく知っているでしょう」
と、お互いに丸投げ状態。
縁あって、今日、私がお話ししました。
「阿弥陀如来は、十方諸仏の本師本仏。
本願とは、誓願ともいいます。お約束のことです。
弥陀は、『どんな人でも 必ず助ける 絶対の幸福に』という
お約束をなさっているんですよ」
仏法をよく聞いてこられたこの方は、「約束」とか「幸福」
という、法話では聞き慣れない言葉に反応します。
「じゃあ、その幸福になるにはどうすればいいんや」
というところで、今日は時間切れ。再会を約して、
お宅をあとにしました。
「弥陀の本願」を説かない寺は、任務放棄です。
反対に、「弥陀の本願」を話せる私は、何とすごいことを
しゃべっているんでしょう。自分の知らされていることに
感動したご縁でした。