3とおりの念仏を知らねば、『歎異抄』は読めない
『歎異抄』には、1章から10章までに「念仏」と20回
書かれています。今日のテレビ座談会で教えていただきました。
数えてみると、
1章……2回
2章……6回
3章……0回
4章……2回
5章……2回
6章……4回
7章……1回
8章……1回
9章……1回
10章…1回
計20回です。
口で称える「念仏」に、3とおりあることを教えられたのが
親鸞聖人です。高森顕徹先生著『歎異抄をひらく』を引用します。
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化学的には同じ涙でも、〝嬉し涙〟あり、〝悲し涙〟〝くやし涙〟
など、さまざまあるように、ひとしく〝南無阿弥陀仏〟と
称えていても、称え心はまちまちである。
夜中に通る墓場で、魔除け心で称える念仏もあろうし、肉親に死なれ、
悲しみ心で称える念仏もあろう。台本にあるから、仕事心で称える
俳優の念仏もあるだろう。
同じく念仏称えていても、「諸善よりも勝れているのが念仏」
ぐらいに思って称えている念仏者(万行随一の念仏)もあれば、
「諸善とはケタ違いに勝れた大善根が念仏だ」と、専ら称える
念仏者(万行超過の念仏)もいる。
称え心を、もっとも重視された聖人は、これらの念仏者を総括して
自力の念仏者と詳説される。
それとは違って、弥陀に救われた嬉しさに、称えずにおれない
念仏者(自然法爾の念仏)を、他力の念仏者と聖人は判別されている。
聖人の念仏者とは、いつもその中の、他力の念仏者であり、
弥陀に救われた信心獲得の人のことである。