「無碍の一道」〜この素敵な言葉は『歎異抄』に
今日11月28日は、親鸞聖人のご命日です。
親鸞聖人の教えと出遇ったのは、20数年前の4月でした。
その日初めて、15分だけ、仏教の話を聞いたのです。
○人生には目的が大切であること
○人生の目的は幸せになること
○けれども、幸せを謳歌している人は見当たらない。
それは、続かない幸せを求めているから
○この世の幸せは続かないが、絶対の幸福という
幸せがある
○それは仏教に説かれている
○その幸せのことを、無碍の一道ともいう
生きる意味を考えていた私は、年齢が1つだけ上の人が
話してくれる内容を、半ばその通りと思いつつ、半ば批判的に
聞いていました。
そして、「何か質問ない?」と言われた時、
「仏教だと最初に言わなかったじゃないですか」
と文句を垂れていました。それは、たいした問題じゃ
ありませんでした。
それよりも、聞き慣れない「絶対の幸福」「無碍の一道」
という言葉に、惹かれていたのです。
その「無碍の一道」が、親鸞聖人のつくられたお言葉でした。
阿弥陀仏の本願に救い摂られ、正定聚不退転の身になり、
この世は絶対の幸福、一息切れれば弥陀の浄土へ往生できる
身になったことを、親鸞聖人はみずみずしく、素敵な言葉で、
『歎異抄』に、
「念仏者は無碍の一道なり」
とおっしゃっています。
この摩訶不思議な魅力を持ったお言葉に導かれて、
今の私の仏縁があるのです。