『歎異抄』第1章の、
「そのゆえは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生を助けんがための願にてまします」
について、電話座談会で教えていただきました。
(マキの木。富山県射水市の親鸞会館が北限とか)
高森顕徹先生著『歎異抄をひらく』には、
「なぜ悪人でも、本願を信ずるひとつで救われるのかといえば、
煩悩の激しい最も罪の重い極悪人を助けるために建てられたのが、
阿弥陀仏の本願の真骨頂だからである」
と意訳なされています。
〝真骨頂〟とは、弥陀の48願のうちの、第18願です。
極悪人をお目当てに、絶対の幸福に助けると誓われた本願だからこそ、
私たちも救われるんですね。
ところが、そんな極悪人だとは毛頭思えない。弥陀の本願に相応して
いないのだと知らされます。