読書日記・その15 「肉体の痛みが、死の恐怖なのか」

 精神科医香山リカさんの最新刊『しがみつかない生き方』には、

「『ふつうの幸せ』を手に入れる10のルール」と称して、

○恋愛にすべてを捧げない

○自慢・自己PRをしない

○仕事に夢を求めない

など10項目が挙げられています。

 その中に、「老・病・死で落ち込まない」というのがあり、

「実際にがんなどで身体の健康に問題が生じると、『死』そのもの

よりも具体的で現実的な苦痛のほうが恐れの対象として浮かび

上がってくる。つまり、その痛みを取り除くことができれば、

恐れや不安もかなり解消されるのではないか、ということだ」

として、緩和ケア病棟で痛みをコントロールしてもらって、

落ち着きや希望を取り戻した人の例を挙げています。

 
 果たして、死の本質は、そんなことなのでしょうか。

高森顕徹先生監修の『なぜ生きる』から、聞かせていただき

ましょう。

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「今までは 他人のことぞと 思うたに オレが死ぬとは 

こいつぁたまらぬ」

と死んだ医者があったそうだが、ながめている他人の死と、

眼前に迫った自己の死は、動物園で見ている虎と、山中で

出くわした虎ほどの違いがあるといわれる。

〝体がふるえるような、不安や恐怖〟といっても、所詮は、

想像している死であり、襲われる恐れのないオリの中の虎を

見ているにすぎない。山中で突然出会った猛虎ではない。

 ところが、「末期ガンです。長くて一カ月」と宣告されたら

どうだろう。

 大問題になるのは「死後どうなるか」だけだと、ガンと

十年闘って世を去った岸本英夫氏(東大・宗教学教授)は

言っている。死と真正面から向き合った記録は壮絶だ。

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 生命を断ち切られるということは、もっとくわしく考えると、

どういうことであるか。それが、人間の肉体的生命の終りで

あることは、たしかである。呼吸はとまり、心臓は停止する。

(中略)しかし、生命体としての人間を構成しているものは、

単に、生理的な肉体だけではない。すくなくとも、生きている

間は、人間は、精神的な個と考えるのが常識である。

生きている現在においては、自分というものの意識がある。

「この自分」というものがあるのである。そこで問題は、

「この自分」は、死後どうなるかという点に集中してくる。

これが人間にとっての大問題となる。(『死を見つめる心』)

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   http://www.takamori.info/