取り返しのつかない時間を、まさに今も過ごしている
生まれたばかりの子供も高校生になる。足利事件の冤罪で17年半、
人生の時間を奪われた菅家さんの再審が始まったそうです。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200910/2009102100215&rel=y&g=soc
なぜ有罪になったのか、菅谷さんの憤りは収まらないでしょう。
当時、検察側の証人として法廷に立った人々も、「自分がもっと
明確に証言していれば、こんなことにならなかった。『よく分かりません』
と言ってしまった」と苦しんでいるようです。
検察や裁判所は、17年半をどう償うのか。この時間はもう、
菅谷さんに返ることはありません。
ひるがえって、私たちの人生も、時間を後戻りすることは
できませんね。人生の目的に向かう今の一瞬も、かけがえのない時間です。
さあ、あなたは、どんなふうに過ごしていますか。
南田洋子さんも亡くなったそうです。私の人生の向かう先も、
後生です。浄土真宗親鸞会の高森顕徹先生の『歎異抄をひらく』から、
葬儀や法要の意味を書かれているところを拝読しましょう。
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毎年、多くの交通事故死が報じられる。「昨年は何千人」と聞いても
少しも驚かない。ただ漫然と数字を見るだけで、「死」については、
まったくマヒしていないだろうか。
忙しい忙しいと朝夕欲に振り回され、自己を凝視することがない。
そんなある日、葬儀に参列したり、墓前にぬかずく時、人生を見つめる
得難い機会になることがある。
「オレも一度は死なねばならぬ。酔生夢死ではなかろうか」
否応なしに冷厳な真実を見せつけられ、厳粛な思いにさせられる。
願わくは、単なるしきたりに終わらせず、自己の後生の一大事を感得し、
解脱を求める機縁としたいものである。