ドアを開ければ、隣の部屋が後生
弥陀の本願は、自力で助けるというお約束か、それとも
他力で救ってくださるお約束か。「本願文」を拝読しただけでは
分からない、この疑問点を、「本願成就文」で釈尊はどう教えて
くださっているか、今日の教学講義で、高森顕徹先生から
教えていただきましたよ。
そもそも「自力」とか「他力」という言葉は、世間でまったく
誤って使われていますので、そこから知らねばなりません。
自分の力で危機から脱出したり、スポーツで優勝したり、
そんなものを、自力といっています。また、他力は、
天気がいいのを「お他力さま」といったり、他人の車で目的地へ
来たことを「他力で来た」といったりします。
これらは間違いです。
後生の一大事を知らされて、自分の力で助かりたいと思って
励むのが自力。後生の一大事を知らされ、弥陀の本願に救い摂って
いただくのが他力の救いです。
後生の一大事が問題にならねば、自力も他力もないのですね。
では、後生の一大事とは何か。一息切れたら、後生です。
死んでいかねばなりません。それは明日かも、今夜かも知れない。
「そんなバカな……」と思っているうちに、死がやってくる。
ドアを開けたら隣の部屋が後生だと教えていただきました。
それなのに、今晩死ぬ覚悟でいるか。後生が今夜来たならば、
涙を流して後悔するだろうに。
今日が最後、毎日が真剣でなければなりませんね。
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