読書日記・その12 「恵まれすぎて、よく読んでいない」

 本屋へ行けば、『なぜ生きる』も『歎異抄をひらく』も並んでいて、

いつでもだれでも手にできる。有り難い世の中ですが、それに感謝し、

どのくらい真剣に拝読しているでしょうか。


 外山滋比古著『思考の整理学』に、こんな文章があります。

********************************************************************

「熱心な学習者を迎えた教育機関、昔の塾や道場はどうしたか。

 入門しても、すぐ教えるようなことはしない。むしろ、教えるのを

拒む。剣の修業をしようと思っている若ものに、毎日、薪を割ったり、

水をくませたり、ときには子守りまでさせり。なぜ教えてくれないのか、

当然、不満をいだく。これが実は学習意欲を高める役をする。

そのことをかつての教育者は心得ていた。あえて教え惜しみをする。

 じらせておいてから、やっと教える。といって、すぐにすべてを

教え込むのではない。本当のところはなかなか教えない。いかにも

陰湿のようだが、結局、それが教わる側のためになる。それを

経験で知っていた」

********************************************************************


 今日は、富山県魚津市で行われたアニメ上映会に参加しました。

『世界の光・親鸞聖人』のアニメを1部から3部まで、一挙上映の

勝縁でした。

 その中の第2部に、若き34歳の親鸞聖人が、お師匠さまである

法然上人から、上人畢生の大著『選択本願念仏集』を与えられ、

書写なされる場面があります。師匠のご著書といえども、だれもが

書き写させていただけるのではない。兄弟子たちがねたみ、

「たかが入門して、4、5年の親鸞が」

「おれなんか十年たっても許されないのに……」

「おれなんかもう十五年になる」

「気にくわん奴だ」

と言い合っておりました。

 ねたみ、そねみは無論、よくありませんが、その悔しさをバネに

勉学し、もし書写を許されるようなことがあったら、きっと

あの人たちは、嬉々として、むさぼるように拝読させていただく

ように思います。


 時は移り変わって、印刷技術の向上により、世の中には有害なものも

無害なものも合わせて、印刷物にあふれています。教育の機会平等が

掲げられているために、一部の人だけ本が読めるというやり方は、

認められないのではないでしょうか。

 そのために、極端にいえば、学ぶ意欲がなくても、尊いご著書が

手にできる。求めて、書き写すわけでもなく、1、2回サーッと読んで

本棚に置いておくのが、関の山でしょうか。


 しかし、そこに書かれていることが、全人類を救うたった1本の

道であり、私がこの世から未来永遠に救われる教えだと本当に

分かっていたら、もっと真剣に、繰り返し拝読するのではないか……。

 アニメ上映会で、こう反省したわけです。








浄土真宗親鸞会 公式ホームページはこちら

    http://www.shinrankai.or.jp/