読書日記・その12 「恵まれすぎて、よく読んでいない」
本屋へ行けば、『なぜ生きる』も『歎異抄をひらく』も並んでいて、
いつでもだれでも手にできる。有り難い世の中ですが、それに感謝し、
どのくらい真剣に拝読しているでしょうか。
外山滋比古著『思考の整理学』に、こんな文章があります。
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「熱心な学習者を迎えた教育機関、昔の塾や道場はどうしたか。
入門しても、すぐ教えるようなことはしない。むしろ、教えるのを
拒む。剣の修業をしようと思っている若ものに、毎日、薪を割ったり、
水をくませたり、ときには子守りまでさせり。なぜ教えてくれないのか、
当然、不満をいだく。これが実は学習意欲を高める役をする。
そのことをかつての教育者は心得ていた。あえて教え惜しみをする。
じらせておいてから、やっと教える。といって、すぐにすべてを
教え込むのではない。本当のところはなかなか教えない。いかにも
陰湿のようだが、結局、それが教わる側のためになる。それを
経験で知っていた」
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『世界の光・親鸞聖人』のアニメを1部から3部まで、一挙上映の
勝縁でした。
その中の第2部に、若き34歳の親鸞聖人が、お師匠さまである
書写なされる場面があります。師匠のご著書といえども、だれもが
書き写させていただけるのではない。兄弟子たちがねたみ、
「たかが入門して、4、5年の親鸞が」
「おれなんか十年たっても許されないのに……」
「おれなんかもう十五年になる」
「気にくわん奴だ」
と言い合っておりました。
ねたみ、そねみは無論、よくありませんが、その悔しさをバネに
勉学し、もし書写を許されるようなことがあったら、きっと
あの人たちは、嬉々として、むさぼるように拝読させていただく
ように思います。
時は移り変わって、印刷技術の向上により、世の中には有害なものも
無害なものも合わせて、印刷物にあふれています。教育の機会平等が
掲げられているために、一部の人だけ本が読めるというやり方は、
認められないのではないでしょうか。
そのために、極端にいえば、学ぶ意欲がなくても、尊いご著書が
手にできる。求めて、書き写すわけでもなく、1、2回サーッと読んで
本棚に置いておくのが、関の山でしょうか。
しかし、そこに書かれていることが、全人類を救うたった1本の
道であり、私がこの世から未来永遠に救われる教えだと本当に
分かっていたら、もっと真剣に、繰り返し拝読するのではないか……。
アニメ上映会で、こう反省したわけです。
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