読書日記・その6「意味がなければ、生きていけない」
50万部突破したといわれる、姜尚中(カンサンジュン)氏の
『悩む力』は、序章と終章も含め、10のテーマで著者が悩んだ
ことが書かれています。
例えば、「私とは何者か」「信じる者は救われるか」「何のために
働くのか」など。ここでは、私がいちばんグッときた第八章、
「なぜ死んではいけないのか」を少し引用し、紹介します。
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精神医学者で思想家のV・E.フランクルは、人は相当の苦悩にも耐える力を
持っているが、意味の喪失には耐えられないといった趣旨のことを述べています。
人は自分の人生に起こる出来事の意味を理解することによって生きています。
むろん、いちいちの意味を常に考えているわけでなく、意味を確信している
ゆえに理解が無意識化されていることもあります。が、いずれにせよ、それが
人にとっての生きる「力」になっています。だから、意味を確信できないと、
人は絶望的になります。
(中略)
自分が生きている意味がわからないという人、あるいは何かの不条理な
原因によってわからなくさせられてしまっている人は、確実にふえているの
ではないでしょうか。自殺率が年々上がっているのがその証拠です。
それは日本だけの話ではありません。韓国でも似たような状況になっています。
(中略)
トルストイは、無限に進化していく文明の中で、人の死は無意味である。
死が無意味である以上、生もまた無意味である」と言いました。
(中略)
先へ先へと猛進していく時代の中では、一人一人の人生は「通過点」の
一つにすぎなくなります。すると、人びとは、自分はとりあえず生きている
けれども、何の生きがいがあって生きているのかわからないといったことに
なりがちです。実感がないから、自分がいなくても誰も困らないだろう、
いくらでも代替可能なのだというような気分になる。すなわち、生きている
意味が摩滅していくわけです。
いまの世の中で、自分が生きていることに真に感謝し、生きている喜びを
心から謳歌しているという人は、どのくらいいるのでしょうか。