敗戦の記憶、セミの亡骸に
「敗戦の日」の今日、最近にない夏空を仰ぎました。空襲警報に
空を仰いだあの時代も、今日と同じように、セミは鳴いていたに
違いありません。
しかし、「八紘一宇」「欲しがりません、勝つまでは」と
猛々しく鳴いていたセミたちも、連合軍の前に屍をさらし、
8月15日、熱かった夏は終わったのでした。今日、職場で
と感じたまでです。
昭和49年に発刊されたというのに、信念の燃えるがままに
真実を叫ばれ、全く色あせぬ、
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「頓て死ぬ、けしきは見えず、蝉の声」
と、芭蕉はよんでいるが、かまびすしく鳴き叫んでいるかのセミも、
地上に出て僅か一週間で死ぬのである。
人生五十年、いや、寿命がのびて、男七十歳、女は七十五歳と
喜んでいると言っても、悠々たる大宇宙の生命と比べたら、
我々の一生は、もっともっとはかない、ホンの一瞬にすぎない。
この一瞬の人生を如何に生くべきか、如何に死ぬべきかは、
これこそ一生参学の大事でなければならぬ。
「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。
この身今生に向かって度せずんば、更に何れの生に向かってか、
この身を度せん」
まことに、永劫の迷いを断ち切り、絶対の幸福を獲得する為に
生まれて来たことがひしひしと身証される。