「死ねばだれでも仏」どころか、ペットまで!?
明日から8月、戦争や水の事故など、人の生死を考えさせられる
暑い季節がまたやってきます。
いろんな宗教施設で「追悼法要」をしますが、浄土真宗親鸞会の
追悼法要はどう違うのか。高森顕徹先生が、平成2年におっしゃった
お言葉を聞いてみましょう。
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「来年八月お盆に、故会員の法要をつとめたらどうか」と仰有って、
名称を考えるよう指示された。
皆の「追悼法要」の案に、先生は会員追悼法要と、会員を加えられた。
先生「世間の人は、『ああ、亡くなった会員の追悼なのか』と思うだろう。
しかし今、生きている会員の為に、という意味も含みたい。
『追悼法要』では、死人だけになってしまうおそれがある」
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亡くなった方の生前のことを思い出し、無常を感じ、やがて私も
死んでいく身、死んだらどうなるのか、心静かに考える日なのです。
そして、未来が分からぬ不安な、この暗い心の解決を
弥陀にうちまかせるために、真剣な聞法に身を沈める日です。
ところが世間では、「死んだら極楽」「死んだら仏」という迷信が
まかりとおっています。まさに、猫も杓子も……と思っていたら、
100円ショップでとんでもないもの発見!
ペットも、死んだら仏か。家族の一員となっているペットを失う
哀情は、分からんでもありませんが。
親鸞聖人の正しい教えを、猛然とお伝えしたくなります。
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