遠くて近いブラジル、近くて遠い富山
「親鸞聖人降誕会」には、海外からも多くの親鸞学徒が参詣されます。
観光のためではなく、聞法を目的に遠路踏破されるのですから、
本当に素晴らしき仏縁ですね。
Yさん宅家庭ビデオご法話に参詣されました。
(上:ブラジリアタワー、下:タワーからのブラジリアの風景)
経費もかかるのに毎年来日し、言葉も食事も不自由な日本に滞在して、
親鸞聖人の教えを真摯に聞き求める同志に接し、Yさんはじめ、
高岡の法友が、心底から次のように言われました。
「ブラジルから来られる苦労を思うと、自分の苦労なんてないようなもの。
これも、後生の一大事に心がかかっているかどうか、ですね」
「本当に私たちは、恵まれた環境にいることが分かりました。
いつでも聞ける、と思っていたら、とんでもないことと思います」
「明日から降誕会だし、正直言って今日は休ませてもらおうかと思った
のですが、支部長から勧められて参詣して、聞法の心構えが間違って
いたことが分かりました。40年前から、高森顕徹先生のご説法を聞いて
きたのに、何をしてきたんでしょう」
このように反省して、恵まれた環境に感謝し聞法しようとされる
高岡の親鸞学徒の皆さんも、素晴らしいですね。
自戒を込めて、蓮如上人のお言葉を。
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遠きは近き道理、近きは遠き道理なり。
「いつものこと」と思い、法義におろそかなり。
遠く候人は、仏法を聞きたく大切に求むる心あるなり。
仏法は大切に求むるより聞くものなり。
(『御一代記聞書』)