春眠暁を覚えず

 昨日も書きましたが、「読売新聞」1面コラムの「編集手帳」は、

文章も内容も勉強になりますよ。「春眠暁を覚えず」ということか、

4月2日には、こんなのが載ってました。

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 格言に〈聖人に夢無し〉とある。聖徳のある人は心に煩いがなく、

安眠して夢を見ない、と。中国の古典「荘子」に由来するらしい

◆夢を眠りの友として毎夜の愉しみにしている身は

「俗人」のお墨付きをもらったような気分だが、心配事が夢に

現れるのはしばしば経験することで、格言を頭から否定もできない。

スポーツ選手などは試合の前、夢の中で苦戦することもあるだろう

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 世界の光である親鸞聖人は、格言に反して、多く夢を見られた方で

あると、高森顕徹先生は『こんなことが知りたい』(3)という

ご著書に、次のように教えてくださっています。

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 昔から聖人に夢なしといわれますが、親鸞聖人は最も多く夢を

みられたお方のようです。

 それは二十年間も山に籠って、勉学修行をせられたので生理的にも

睡眠不足で夢をみられたとも考えられますが、聖人の不眠不休の

求道に、み仏も感動し夢中にまで教導なされた霊夢としか思えない

ものばかりです。

 その主なものを紹介して私の愚見も述べてみたいと思います。

 建久二年九月十二日といえば、親鸞聖人十九歳の時ですが、求道に

行きづまられた聖人は、かねて崇敬なされていた聖徳太子の御廟へ

参籠されて、生死一大事の救われる道を尋ねられたことが

ありました。

 この時は十三日より十五日までの三日間おこもりなされたの

ですが、その間の模様を聖人自ら次のように書き残しておられます。

 夢に如意輪観音があらわれて、五葉の松を母に授けて私の出生を

予告したという、かつて母から聞かされていた話を私は思い出し、

観音の垂迹である聖徳太子のお導きによって、この魂の解決を求めて

太子ゆかりの磯長の御廟へ参詣した。

 三日間、一心不乱に生死出離の道を祈り念じて、遂に失神して

しまった。

 その第二夜の十四日、四更(午前二時)ごろ、夢のように

幻のように自ら石の戸を開いて聖徳太子が現れ、廟窟の中は、

あかあかと光明に輝いて驚いた。

 その時、親鸞聖人に告げられた太子のお言葉を、次のように

記されています。

「我が三尊は塵沙の界を化す、日域は大乗相応の地なり、諦に聴け

諦に聴け、我が教令を、汝が命根は応に十余歳なるべし、命終りて

速やかに清浄土に入らん、善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を。

 時に、建久二年九月十五日、午時初刻、前の夜(十四日)の告令を

記し終わった。仏弟子 範宴」

 範宴とは若き日の親鸞聖人のことです。

 この時、親鸞聖人に告げられた太子のお言葉の意味は、

「わが弥陀と観音、勢至の三尊は、このチリのような悪世を救わんと

全力を尽くしていられる。

 日本国は真実の仏法の栄えるにふさわしい土地である。

 よくきけ、よくきけ、耳をすまして私の教えを。

 お前の命は、あと十年余りしかないだろう。

 その命が終わる時、お前は速やかに浄らかなところへ入ってゆくで

あろう。

 だからお前は、今こそ本当の菩薩を深く信じなさい。心から

信じなさい」

ということでありました。

 聖徳太子の御廟は、大阪府石川郡東条磯長(現・太子町)に

ありますので、これを磯長の夢告といわれています。

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「命、あと10年」と予告された親鸞聖人は、死ねばどうなるのか、

後生の一大事の解決を求められ、比叡山で一層、厳しい修行に

打ち込まれたのでした。





          高森顕徹先生公式サイトはこちら。

           http://www.takamori.info/