生きる力は、生きる目的から
都合で、ちょっと、ご無沙汰してました。すみません。
東京・江東区のマンションで23歳女性を殺害し、遺体を切断してトイレに
流すなどした星島被告が、東京地裁で無期懲役を言い渡されましたね。
1人殺害でも死刑判決が出るかどうかが注目されましたが、裁判長は、
「殺害行為は冷酷ではあるが、残虐極まりないとまでは言えない」
と述べました。
「包丁で首を1回突き刺すという殺害の仕方は執拗ではない」
「殺人には計画性がない」
などが被告に有利な事情になったそうですが、死体損壊を含めて、残虐と
見るか否か、選ばれた裁判員だったらどうしたでしょう。
被告が公判でも反省の態度を見せていることなどから、裁判長は、
「終生、罪の重さを真摯に考えさせ、被害者の冥福を祈らせるのが相当」
と述べたそうです。
「終生」とは、どれだけでしょう。14、5年で仮釈放が認められている
無期懲役と、死刑との間が大きいので、仮釈放のない終身刑を創設すべき
との議論があります。ところが現実には、日本の無期懲役刑は「無期化」して
いると、日弁連の資料は語っています。2007年末の無期受刑者は1670名。
(そんなにいるんだ!)仮釈放されたのは06年が3名、07年で1名でした。
平均在所期間は31年10カ月で、ここ10年間に刑務所で死亡した無期受刑者は
120人だそうです。
田中早苗さんという弁護士によれば、無期懲役刑の「無期化」により、
刑務所内での処遇が困難になってきているといいます。
突然暴れ回るなどの「拘禁ノイローゼ」にかかる人は、一般受刑者の
0.16%に対して、死刑確定者は36%、無期受刑者は41%。また、無期囚は、
自由な精神の動きを失い、無感動な「刑務所ぼけ」の囚人になりがちだと
いわれます。「死ぬまで生きる」だけなら、絶望しかないのですから、
むべなるかな、でありましょう。
希望がなければ、人間は生きられません。生きる力がなければ、反省も
更生も、社会復帰の意欲も起こらないでしょう。死刑より終身刑の方が、
それゆえ残酷だともいえます。
では、平穏無事に生きているかの人々に、真の「希望」はあるのでしょうか。
病気や交通事故、家族との死別、離婚、リストラ、ワーキングプアなど、
意思に反する不測の事態に生きる力を喪失し、自殺を選択する人が、日本で
10年以上も3万人を下らないのです。
ユーゴーは、「人間は不定の執行猶予のついた死刑囚」と言いました。
死刑がなくても死ぬんですから、「希望のない人生は、死ぬまで生きるだけの
無期懲役」と言ったら、言い過ぎでしょうか。
生きる力は、生きる目的があってこそ沸いてきます。生きる目的こそが、
真の希望だからです。苦しくとも生きるのは、なぜか、その人生の目的を
明示されるのが、親鸞聖人の教えなのです。
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