仏教徒って言えますか
少し前になりますが、オバマ大統領が就任演説で、
「われわれはキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、そして無神論者の国だ」
と語りました。「ヒンズー教徒」をさりげなく盛り込み、インドの顔を立てたといわれます。
アフガニスタン作戦を成功させるには、インドの協力が不可欠だからだそうです。
ここで「仏教徒」が入っていない、と言及する評論家もあったようです。
つまり大統領は、日本を相手にしていない、と言いたいのです。
確かに、日本は仏教国でしょう。それどころか、世界の先進国のほとんどが、
キリスト教国家であり、お隣の韓国や、中国でさえも、キリスト教布教が
盛んだというのに、日本のクリスチャンは、0.1 %ほどとか。
特異な国ですよね。
でも、自分は仏教徒だという自覚が日本人にどれほどあるでしょうか。
お通夜や葬儀で手を合わせ、念仏を称える程度で、「仏教徒」と言うには
おこがましい気がします。
かの『文明の生態史観』で筆者の梅棹忠夫さんは、海外で宗教を
尋ねられた時、「仏教」と答えておけば説明不要で助かるが、
いざ説明するとなると困ることを率直に書いておられたと思います。
(記憶ですみません)
正直に「無宗教」というと、海外ではおかしく思われるほどです。私が
アメリカ住まいしていた時に、大学生が「宗教のために休日がほしい」と
と教授に頼めば、ほぼ無条件でOKだったことを記憶しています。
ずいぶん日本と違いますよね。
日本人って、もっと仏教徒であることに、誇りを持ったらいいのに。
葬式や法事の作法が仏教でなく、あくまで「教え」なんです。
その根幹は、
○善因善果……善いことすれば、よい結果が返ってくる
○悪因悪果……悪いことすれば、悪い結果が返ってくる
○自因自果……自分のやった行いは、自分の運命を決める
という教えです。ひと騒動起きたらすぐ「報復」、と言っている国家とは
違います。
未来に閉塞感を抱いている今、仏教こそが、正しく世界を幸せに導く、
最も古くて新しい教えだと、学んでいる人は自信もって言えます。
海外へ行っても、それを知らなければ何だかうしろめたいですよね。