徳川家康の悲劇

 昨日・今日・明日と時間旅行して、目の前を過ぎ行く人や

ニュースを切り取っている私ですが、ホントに旅行して、

風景を写真に切り取ってくることもあります。

ま、仕事ですけどね。

 こないだは、京都へ行き、二条城へ立ち寄ってきました。







 慶長8年(1603年)、徳川家康が、京都御所の守護と

将軍上洛の時の宿泊所として造営したのが二条城です。修学旅行で、

二の丸御殿の廊下を歩いてみた人もあるのでは。あのキュッキュッと

鳴るウグイス張りで有名です。


 関が原合戦に勝利して天下を取り、幕府を開き、征夷大将軍にも

なった家康ですが、それがゴールではありませんでした。

「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとし」

 自身が述懐するように、苦しみという重荷を、死ぬまで

降ろせなかった人生でありました。


 75歳で亡くなる前々年、大阪城にいる豊臣秀頼を討たねば、

徳川方と豊臣方に二分されたまま、天下の安泰はないと考え、

大阪冬の陣を戦います。翌年には夏の陣で決着を図りました。

 高齢化社会の今日でも、74歳ともなれば体の不都合も

種々ありましょうに、戦場で大将を務める苦労やいかに。

しかも、真田幸村が家康本陣を襲撃し、家康は切腹も考えた

といいますから、楽じゃあありません。


 天下人として君臨しながら、本当の幸福を知らなかった

悲劇の一生だったようです。

「家康も 重荷おろせぬ 悲劇人」





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