死はけがらわしいか

 映画『おくりびと』の評判がいいようです。

 これに登場する納棺夫という職業は、富山県の作家・青木新門さんの

納棺夫日記』で、ある程度、知られているかもしれません。


 私は父を亡くした時、実際に納棺夫の人のお世話になりました。

葬儀を取り仕切る会社の社員として、その人は通夜の前日、わが家に

やってきました。布団に横たわる父と、その後ろに家族が控える仏間で

仏説阿弥陀経』の読経があり、いよいよ、葬儀会場へ父を運ぶ時、

その人は正装し、父の横に座ったのです。その時初めて、

「ああ、この人が納棺夫だったんだ……」

と分かりました。


 簡単な下着しか付けていない父に、白装束を着せるのが、その人の

仕事でした。布団を掛けたまま、みっともない格好をさらさぬよう、

寝たままの父に装束を着せるのです。11月だというのに、その人は

父の左右を行き来し、一人で体を持ち上げながら、汗びっしょりで

務めてくれました。遺族は黙ってじっと、その様子を、厳粛な思いを

抱きながら、見ておりました。

 最後に掛け布団をめくった時、しわ一つも見られないほど、父は

きれいに装束を着せてもらっており、私は感動さえ覚えたのです。


 次に、皆で協力して、棺桶に入れます。父の頭と首を持った私は、

死んだ人はこんなにも冷たいのか……と強烈に思いました。


 通夜や葬儀でその人は、今度は司会者を務めていました。遺族の

私たちは、その納棺夫に、悪い感情は少しも抱きませんでした。

むしろ、一生懸命やってくれていてありがたいと思いました。

 映画では、納棺夫の仕事を始めた夫を、妻が「けがらわしい」と

拒絶する場面があるようです。死はけがらわしいものだと思っての

ことでしょう。


 斎場に、焼かれた人の遺骨を骨壷に詰める係の人が二人いました。

初老のその男性二人は、顔つきや態度から、自分の仕事を卑下して

いるように見えました。こちらは、ご苦労さまという気持ちにこそ

なっているのだから、そんなにおどおどする必要ないのになあ、と

思って見ていました。

 やっぱり、けがらわしく思われていると感じているのかもしれません。


 人間は、だれしも死んでいくのです。無常です。親も私も

必ず死んでいく。けがらわしいなんて、きれいごとじゃないでしょうか。

父は一体どこへ行ったのか、私は死んだらどうなるのだろうか……という暗雲が、

心に立ち込めはしないでしょうか。


 自分が死ぬとなると、行き先分からず真っ暗になる心を、仏教では、

「無明の闇」と教えられます。親鸞聖人が主著『教行信証』の冒頭に

書いておられるお言葉を紹介しましょう。


「『難思の弘誓は、難度海を度する大船、無碍の光明は、無明の闇を

破する慧日なり』(『教行信証』)

『弥陀の誓願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、苦しみの

波の絶えない人生の海を、明るく楽しく渡す大船である。この船に乗る

ことこそが人生の目的だ』

 全人類への一大宣言といえよう」

   (高森顕徹先生監修『なぜ生きる』より)



            高森顕徹先生公式サイトはこちら。

             http://www.takamori.info/



「無明の闇」を持たない人は、全世界に一人もいないのです。