阪神大震災14年目(その3)

 瓦礫の下から引っ張り出され、救出隊と抱き合って喜んだのも

束の間、自宅が全半壊した人々は、その後、仮設住宅に身を寄せ、

その後の人生がどうなるのか、大きな不安にさいなまれる

ことになりました。特に、家族を失い、家を再建する財も気力も

ないお年寄りの心配は深刻でした。


 私がよく訪れた神戸市東灘区の仮設住宅は、200戸くらいが

公園に建設されていたのではないかと記憶しています。

「ごめんください。お話を聞きたいのですが……」

 引き戸を開けて尋ねると、暇を持て余して寂しい老人が

多いとみえて、結構、こころよく了解してくれました。

6畳と4畳半の2部屋に、1人暮らしから一家5人で住んでいる

家庭まで、何軒も見せてもらいました。


 お年寄りの多くは、生涯かけて築いたものが、わずか20秒の

揺れで崩壊したことに絶望していました。仮設住宅にも

町内会長さんがいて、そんな老人の心のケアが重要な仕事だと

言っておられました。


「もし、ここを出て行くように言われたら、行き場がない。

2年ほどで出ねばならないとも聞く。じゃあ、それまでの間に

死のうか……」

と考える人がいても、無理はありません。

 この世はまったく、何が善やら悪やら、分からない。

私の仏教の先生である高森顕徹先生は、

歎異抄をひらく』というご著書に、こう書いておられます。


阪神大震災倒壊家屋の下から、九死に一生、救い出されたはず

なのに、『あの時死んでおれば良かった』と、後日、自殺する

老人が続出した。人命救助は最善と、決死でなされた救出作業

だったが、情けが仇となる例かもしれぬ」


 これ以上善いことはないと思われる人命救助でさえ、人々を

自殺するまで苦しめる結果になろうとは。


 また、孤独死も問題になりました。だれにも見取られず、自室で

亡くなる孤独死は、消極的な自殺といえましょう。住み慣れた

故郷を追われ、生きる力を失い、見知らぬ土地の仮設住宅

連れてこられた老人は、ちょっと雨が降ると、スーパーへ行くのも

億劫で、何も食べずに数日過ごします。風邪をひいても、病院の

場所が分からず、部屋で寝ていたりもします。それが原因で体が

弱り、近所の人も気づかぬうちに孤独死する人が続出したのです。


 仮設から復興住宅に移っても、心に傷を負った人々の孤独死

やまず、震災から10年間に、560名以上が孤独死したと

見られています。


 人生に災難は付き物です。どんな不測の事態が起こるか、

分かりません。

 それでも生きていこうという「生きる力」って、どこから

出てくるのか。阪神大震災で被災した、人生の大ベテランでも、

それは持ち合わせていなかったのでした。


 親鸞聖人の教えられた「なぜ生きる」の解答を知らない限り、

苦悩の人生を渡ることは難しいですよね。






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