阪神大震災14年目(その2)

 阪神・淡路大震災から2週間ほど経って、ようやく神戸を

訪れた私は、手持ちのカメラで三宮の街を撮って歩きました。


 そんな私に、一人の外国人女性が、流暢な日本語で声をかけて

きたのです。どうやら、神戸に住んでいる人のようでした。

「どこかに、お風呂ないですか」

 聞けば震災後、一度も入浴していなくて、頭がかゆくて

しかたないとのこと。私は、三宮に入る前に、芦屋で、自衛隊

臨時の風呂を設置していたのを見たので、それを話しました。

「実は、あそこで風俗の店がもう営業しているのを知っているの

ですが……」

 女性一人で行くわけにもいかないし。何の力にもなれず、

せめて被災者の皆さんの話し相手になりながら、大災害のそんな

生の声を多く聞きたいと思ったのでした。


 そういえば、阪神電車の中で、こんなことがありました。

座席に人がまばらに座っている車両に、ある駅で、小学生が一人、

乗ってきたのです。ぽつんと座るその子に、乗客の心配する視線が

注がれているように感じました。私も、最悪のケースを

想像しました。

 しばらくして、初老夫婦のご主人が、

「坊や、お父さんやお母さんは無事かい?」

と声をかけました。小学生が、うなずきながら、

「うん」

と小さく答えた時、

「そりゃあ、よかったなあ」

という初老紳士の言葉とともに、車内全体に安堵感が広がった

のです。


 関西人の人情を垣間見るとともに、6400人の犠牲者を

考えれば、自分の命があったのが有り難いと、多くの人が

思っていたはず。

 でも、よく考えると、人間は必ず死んでいきます。

その時は生きながらえても、次の瞬間はどうなるか分からないのが

私たちの命であることを、仏教では教えておられます。

 ならば、すべての人は、今日生きていることが、本当は

有り難いのです。


 ところが現実には、延びた命を有り難く思えず、孤独死した

人がたくさんあったのでした。私が仮設住宅で見聞したことを

次に紹介します。

 って、前回もこんなクロージングでしたっけ。
 





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