阪神大震災14年目
今日は、阪神大震災から14年目でした。
あの日の早朝、テレビで、煙の上がる神戸市内を見て驚き、慌てて電話したのを
覚えています。兵庫県に、お世話になった人がたくさんいたからです。
新聞や週刊誌ではとても報道できない地獄絵図が展開されていたことでしょう。
6400人の犠牲者のうち、ほとんどは圧死だと報じられましたから、
現場は騒然としていたにちがいありません。
2週間ほど経って、ようやく訪れる機会を経て、大阪・梅田から阪神電車で西へ
向かいましたが、たしか、御影駅くらいまでしか行けませんでした。駅前の水道で
子供が食器を洗っているのを見ました。
代替バスで三宮に入った時、目に飛び込んできたのは、華やかな街が、
瓦礫とビニールシートで覆われていた姿です。私は、三宮駅からすぐの、
かつての仕事場へ行ってみました。4階建てくらいだったそのビルは、
何とか立っていたものの、隣の5階建てのビルは、全フロアがすべてVの字に
破壊されていました。道路を隔てた向かいの高層ビルが、地震発生時に傾き、
その後倒壊して、5階建てビルを直撃したからです。
そんなビルを見上げた衝撃は、脳裏に焼きついています。人々は、
もう見慣れたのか、その前で焚き火をして暖をとっていました。
まさに、戦時中のようでした。
一瞬にして、これからの人生をすべて断ち切られた人々。この日、
死ぬとは、想像だにしていなかったに違いありません。
そして、生き残った人々にも、仮設住宅や孤独死などの新たな試練が
待っていたのですが、私が見聞きしたことを、機会あれば書きたいと
思います。