飛行機が怖い人と平気な人、どっちがまとも?
今日目に止まったのは、大きなニュースじゃないけど、この話題。
ドイツのクラブチームに所属するペルー代表FW・ゲレーロという
サッカー選手が、飛行機恐怖症のため、母国からドイツに戻れないん
ですって。
YAHOO!ニュースより
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100131-00000026-ism-socc
昨年9月に行われたW杯南米予選で、十字じん帯損傷という大ケガを
負ったゲレーロは、ペルーで治療を受け、ドイツでリハビリに取り組む
予定でした。ところが、ここ数週間に4度ほど、飛行機の搭乗にトライ
したものの、恐怖でいずれも失敗。チームは、ドイツから現地へ、
精神療法のため、理学療法士を派遣するそうです。
かのジャイアント馬場さんも、あんな大きな図体してても飛行機が
大の苦手で、搭乗してから降りるまで、両腕をひじかけに置いたまま、
しっかり体を固定していたといいます。これも一種の病気と診断される
のかもしれません。
しかし、機内で食事したり、酒飲んだり、映画観たり、ふらふら立って
歩けるのは、絶対落ちないと信じ込んでいるからですよね。もし突然、
尾翼が吹っ飛んだら、だれしも同じようになるはず。果たして、どっちが
病気なのか。
高森顕徹先生監修の『なぜ生きる』には、人生を飛行機に例えられた
記述が何カ所もあります。その一つを紹介しましょう。
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人は、生まれたときが母艦を飛び立った飛行機とすれば、悪戦苦闘の
生きざまは、乱気流や暴風雨との闘いであり、敵機との交戦である。
激闘のすえ帰還すると、母艦の影も形も見当たらぬ。見わたすかぎりの
大海原。燃料計はゼロ、としたらどうだろう。長い死闘はなんだったのか。
バカだった、バカだった……。
大命、将に終らんとして悔懼こもごも至る (『大無量寿経』)
「臨終に、後悔と恐れが、代わる代わるおこってくる」
と説かれるのは、海面に激突する心境にちがいない。
飛行機に墜落以上の大事はないように、人生に死ぬ以上の大事はない。
生死の一大事とも、後生の一大事ともいわれるゆえんである。