公約違反を許せるか、これが仏さまなら……
民主党が、ガソリン税などの暫定税率を実質的に維持するそうです。
これに対して、自民党から一斉に、「公約違反だ」という批判が
噴出したようですね。
YAHOO!ニュースより
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/politics/?1261403897
人たちには、この件のみならず、「あれは選挙用の空手形だったのか」
と、裏切られた感もあるでしょう。しかし、万事うまくはいかないだろう
という失望は織り込み済みで、非自民政権を願って一票を投じた、
先見性のある人も多いようです。
もしマニフェストに反することをせねばならないなら、
十分な説明責任を果たさねばなりません。状況が変わることは
だれだって知っているのですから、誠心誠意、納得できる
説明をすれば、かえって印象はよくなるでしょう。
しかし、これは人間世界のこと。
阿弥陀仏は、
「どんな人をも必ず絶対の幸福に助ける。
もしできなければ、正覚を取らない」
という誓願を立てておられるのです。正覚とは、仏のさとりですから、
不履行の時は、命を捨てるというお約束です。
にもかかわらず、弥陀の本願を疑っているのですから、
何と恐ろしい罪なのか……。
これが苦悩の根元であり、その解決が人生の目的であることを
示されたのが、『なぜ生きる』です。
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人生を苦に染める元凶は何か。親鸞聖人の解答は、簡明だ。
決するに、疑情をもって所止となす (『教行信証』)
「疑情ひとつ」と決断される。「決するに」「所止となす」の
断言には迷いがない。苦悩の解決ひとつを説く聖人だから、
こんな明言が極めて多い。
「苦悩の根元は、これひとつ」と断定される「疑情」とは、
次章から詳しく述べる、死後どうなるか分からない「無明の闇」の
ことである。
(高森顕徹先生監修『なぜ生きる』)