講演会や勉強会で縁が深まったら、少人数で法施

 今日は、富山県魚津市で、普段から勉強会に参加している

皆さんを訪ね、仏法をお話ししてきましたよ。

 多くの参詣者がいる勉強会では、時間も足りず、なかなか

徹底した法施ができませんから、ご縁が深まってきた人には、

戸別訪問して、少人数で仏法讃嘆することが大事だと思います。


 まず、90歳のFさんを訪ね、車にお乗せしてAさん宅へ。

Fさんと、Aさんと、Aさんの奥さんと私の4人で

語り合いました。

 戦争へ行ったFさんが、戦場での体験から、

「人間ちゃ、いざとなったら、自分な助かることしか

考えんが」(富山弁)

と言われたのを皮切りに、すべての人の本当の姿は悪人であると

教えられていること、その極悪人を助けるという

弥陀の誓願であること、『歎異抄』の「善人なおもって往生を

遂ぐ、いわんや悪人をや」についても話が盛り上がりました。


 この部分を、高森顕徹先生著『歎異抄をひらく』より。

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歎異抄』でも特に知られる、日本思想史上、もっとも有名な言葉と

いわれる。衝撃的な内容だけに、大変な誤解も生んだ。

「善人でさえ浄土へ往ける。まして悪人は、なおさら助かる」

と聞けば、

「悪をするほど浄土へ往けるのか」

と、誰でも思うだろう。

 実際、〝悪をするほど助かるのだ〟と好んで悪を行う

「造悪無碍」とよばれる輩が現れ、「悪人製造の教え」と非難された。

 それはまた、今もある『歎異抄』の根深い謬見でもある。

 かかる誤解を正すには、親鸞聖人の「善人」「悪人」の認識を、

徹底して明らかにするしか道はない。それなしに、三章は勿論、

歎異抄』をいくら熟読しても、論語読みの論語知らずに

ならざるを得ないであろう。

 私たちは常に、常識や法律、倫理・道徳を頭に据えて、

「善人」「悪人」を判断する。だが、聖人の「悪人」は、

犯罪者や世にいう悪人だけではない。極めて深く重い意味を持ち、

人間観を一変させる。

                   (つづく)

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 親鸞聖人のおっしゃった「悪人」とは、どんな意味か。

まだまだ言い足りません。

 また、行きますよ。